もう一つこの判決から学ぶべきは「提案書の書き方」だ。
本件の提案書には、財務会計システムの導入は記載されているが、それと密接に関連する税務システムについては、何も記述されていない。
人によっては、「財務会計」と「税務」は不可分と捉えるかもしれない。地方自治体の場合、特に記述がなくても、税務は財務会計の一部分であり、当然に提案書に含まれる」とする人もいる。本件のユーザーも、同様に考えていた可能性はないだろうか。
ユーザーは税務システムにはある程度のカスタマイズが必要であるとは理解していたが、その費用は財務会計システムについての提案に含まれていると考えていた節がある。
ところがベンダーは、提案内容に税務システムを含んだつもりはなく、カスタマイズ費用を別途見積もり、その総額は新規開発に近いものになった。この認識の差が、ユーザーの追加見積もり不同意と、その後の紛争の原因となった。
提案書作成時は、ユーザーに提案内容の拡大解釈をさせないように、「具体的」かつ「厳密」で「客観性のある」記述が必要だ。
ユーザーが「当然、提案に含まれるだろう」と考える危険のあるサブシステムや機能は、別扱いとする書き方が必要だ。業務の全体像を示して赤線で囲んだり、提供する機能の一覧を明示したり、開発しないものは「開発しない」と明確に記したりできるはずだ。
ベンダーの落ち度をさらに挙げれば、ほぼ内容の確定していた財務会計システムと、取り扱いが漠然としている税務システムを一つの契約で対応しようとしたことだ。
システム全体として金額を記さない基本契約を結び、財務会計システムの分だけ個別契約を結び、税務システムについては別の契約として交渉をする。こうせずに、単純に全てのシステムを一括で行ってしまったために、本来なら問題なく作業を続けていた財務会計システムまで、費用請求できなくなった。
決まった部分は個別契約を結び、不確定な部分は別途交渉する。
言葉で言うと簡単だが、実際には複雑な事情が絡まり合って、なかなか難しいことではある。それでも、本件のような争いを避けるためには、こうした段取りを踏むことが安全だ。
大切なのは「曖昧さを排除」することだ。数多くの人間がさまざまに発言し、形のないソフトウェアやシステムについて検討する中で、客観性を維持しながら、誰もが納得する線を引くのは、簡単なことではない。しかしそうしないと、費用の支払いを受けられない危険にベンダーは晒され続けるだろう。
東京地方裁判所 民事調停委員(IT事件担当) 兼 IT専門委員 東京高等裁判所 IT専門委員
NECソフトで金融業向け情報システムおよびネットワークシステムの開発・運用に従事した後、日本アイ・ビー・エムでシステム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーおよびITユーザー企業に対するプロセス改善コンサルティング業務を行う。
2007年、世界的にも季少な存在であり、日本国内にも数十名しかいない、IT事件担当の民事調停委員に推薦され着任。現在に至るまで数多くのIT紛争事件の解決に寄与する。
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