「無料モデルに興味はない」「プログラマは創造的だ」〜セオドア・グレイ氏インタビューD89クリップ(19)

2002年のイグ・ノーベル賞に輝き、iPadアプリ「元素図鑑」や、過激な科学実験を紹介した書籍の作者でもあるセオドア・グレイ氏に、ものづくりについて聞いた

» 2010年10月08日 00時00分 公開
[矢野りん@IT]

 2002年のイグ・ノーベル賞に輝いた経歴を持つセオドア・グレイ(Theodore Gray)氏は、iPadアプリ「元素図鑑」の作者であり、爆発などの危険を伴う科学実験を紹介した異色の書籍「Mad Science −炎と煙と轟音の科学実験54」の著者だ。その一方で、世界の研究機関が活用する技術計算ソフト「Mathematica」の開発元であるWolfram Research社の重役、という硬派な顔も持つ。

 「クレイジーな科学オタク」? それとも「理性的なビジネスマン」? その素顔は、「職人的表現者」だった!

セオドア・グレイ(Theodore Gray)氏「元素図鑑を作っていたときのことを思い出しますけど、すごく楽しかったですよ! 2カ月間、それ以外は何もやらなかった。家族にも会わずにね」 セオドア・グレイ(Theodore Gray)氏「元素図鑑を作っていたときのことを思い出しますけど、すごく楽しかったですよ! 2カ月間、それ以外は何もやらなかった。家族にも会わずにね」

金属ナトリウムと塩素ガスでポップコーン調理

セオドア・グレイ氏(以下、グレイ)グレイ氏(以下、グレイ) 「Mad Science −炎と煙と轟音の科学実験54」は、「Popular Science」という雑誌で毎月、5年間担当していた連載をベースとした書籍です。1つのネタごとにプロの広告写真家が丸一日かけて撮影しています。

 一番お気に入りの実験は一番最初に行った、金属ナトリウムと塩素ガスを反応させて、発生した大きな炎の煙(塩化ナトリウム)を使い、大量のポップコーンに塩味を付けたやつかな(実験シーンを撮影した動画をMac Book Proで見せながら)。

 最後にポップコーンごと燃え落ちて、食べられないけどね。

 この書籍は英語圏向けのデザインと日本語版のデザインが全然違いますが、日本語版のデザインは、かなり秀逸です。こっちの方が気に入ってます(英語版の表紙はスタンリー・キューブリック監督作品「時計仕掛けのオレンジ」のポスターさながら、グレイ氏が燃え上がる炎を手に怪しげな眼差しでこちらを見据える奇抜なスタイル。危険さをあおるようなデザインに)。

グレイ氏と「Mad Science −炎と煙と轟音の科学実験54」英語版 グレイ氏と「Mad Science −炎と煙と轟音の科学実験54」英語版

――子供のころからこうした実験が大好きだったのでしょうか?

グレイ お金が掛かる実験もあるから、子供だとちょっと難しいですけどね。でも、ほとんどの学生は高校くらいのときまで、この程度の科学実験は授業でやっているものじゃないかと思います。私の場合、火薬を使って花火を作りました。13歳くらいに。スパークするのは作るのが簡単なんです。ところが、スパークしないやつ、爆発するようなタイプの花火を作るのは難しいんですよ。

楽しいと思えること以外は、行動に移せない

――雑誌で連載したきっかけは何ですか?

グレイ 偶然です。私は普段「Mathematica」の開発販売にかかわっていて、そこで新しいオフィスに引っ越しをしたんですね。そこにテーブルを設置する必要がありました。そのとき「元素周期表のテーブル(The Wooden Periodic Table Table)」を自作したんです。それがなぜかとても評判になった(グレイ氏は、このテーブルで2002年のイグ・ノーベル賞を受賞している)。

「元素周期表のテーブル(The Wooden Periodic Table Table)」(グレイ氏持参の動画より) 「元素周期表のテーブル(The Wooden Periodic Table Table)」(グレイ氏持参の動画より)

 このテーブルのうわさを聞いた「Popular Science」誌の編集長から、ある日電話がかかってきて「コラムを書かないか?」と。8年前だったかな。当時雑誌で連載を持つことは、あまり興味なかったのですが、「国際的に有名な雑誌の編集長だしなあ」と思って引き受けたんです。

 イグ・ノーベル賞の受賞後はいろいろなトピックについて原稿を書いて、Webで公開していたこともあって、基本的に文章を書くことは好きなんですが、たんなる“趣味”でしたからね。でも、いまとなってはフルタイムで2人もスタッフを雇うような“趣味”になってしまいました!

 本当は「“趣味”だ」と公言するのを良いことだと思ってはいません。売り物を作っているので「“仕事”です」といった方がいいのでしょうが、「好きでやっている」と思った方がやっていて楽しいから、そういう表現をしたいんです。でも、2人も人を雇っているんだから、もはや「趣味」とはいえないですよね。

――この書籍を拝見した際、「『教育者として子供や一般の人々に科学の面白さを伝えたい』といった、明確な意図を持って書き上げたのかな?」という印象もあったのですが、どうでしょうか?

グレイ 私はね、自分が面白くて、魅了されている事柄について行動するのが好きなんです。だから、そういう意図があったというのは違うかな。「誰かに何かを教えるために本を書いてくれ」とオーダーされたら、こんな書籍は作れなかったと思います。

 誰かが私のやることに興味を持ってくれることについては感謝するけど、自分が心の底から楽しいと思えること以外は、行動に移せない性分なんですよ。

――この本が面白いのは、著者であるグレイさんが心底楽しんで書いていらっしゃるからなんですね。

グレイ 100%、そのとおり。だって「他人についての紹介文を書いて」とお願いされたときでさえ、自分のことばかり書いてしまうような人間なんですから、私は(笑)。

プログラマは非常に創造的な性質を持っている

――なるほど。グレイさんはクリエイティビティ(創造性)にあふれた方だと感じます。プログラマ/開発者といった、いわゆる「ITピープル」よりは芸術家寄りですね。

グレイ 「ITピープルはクリエイティブではない」ということですか?

――そうではありませんか?

グレイ 「ITピープル」もいろいろですよね。僕にとって「ITピープル」というのは「データベースの管理者」を指します。「プログラマ」という職種はITピープルに当てはまりません。そればかりか、プログラマは本来非常にクリエイティブな性質を持ってますよ。iPhoneアプリやMac OS、ゲームのプログラマを見てみなさい。クリエイティブですよね。彼らはソフトウェアを通じてクリエイトしてます。デバイスやゲームコンテンツの開発にかかわる人間はクリエイティブですよ。

――私はプログラマがもっぱら、何かゴールや課題があって、その課題を解決するために何かを作るといったやり方で動く人という印象があります。一方、アートにはゴールとか、終わりのない作業に能動的に着手する人間であり、そうした態度こそがクリエイティブだと感じるのです。

グレイ デザイナもゴールに向かって“仕事”をしますよね。必ずスケジュールや、締め切りがあるし。開発者に関しても、例えば「ATMのシステムを作る」とか、そういう仕事には、締め切りがあります。でも芸術家、例えば絵描きだと「描きたいから描いている」という気持ち1つで行動しています。

 そこで1つ、開発者の例を挙げましょう。彼が例えば、「ハードウェアの限界を克服し、何か面白いソフトウェアを開発したい」と考えているとします。こうなると、もう彼の行為は絵描きや、写真家のような芸術家と同じです。ゴールはありません。クリエイティビティの勝負になってくる。

「よく『いろいろなものを無料で配ることを良いことだ』という人もいますけどね。私は賛成できません。ものづくりは苦労が伴うことだから、お金を支払ってもらうのは正当なことですよ」とグレイ氏 「よく『いろいろなものを無料で配ることを良いことだ』という人もいますけどね。私は賛成できません。ものづくりは苦労が伴うことだから、お金を支払ってもらうのは正当なことですよ」とグレイ氏

 そもそも、クリエイティビティの有無は職種によるものではありません。プログラマの場合も、クリエイティブな人とそうでない人がいる。その人間そのものがクリエイティブかどうかです。例えば、先ほどいった「データベースの管理者」だって「会計士」だってクリエイティブですよ。そんな会計士に会ったことはないけど!

自分自身を「アーティスト」という人間は信用できない

――グレイさん自身、アートに興味はありますか?

グレイ 僕は難しい立場ですね。美しいものを作ることには興味があるんです。でも、上手くできているのかは、自分では判断できません。私は自分自身を指して「アーティストです」という人間は信用できないんです。実際インチキ人間が多いですしね。

 例えばノーマン・ロックウェルは、かつて「画家」と呼ばれることを嫌い、「自分はイラストレータである」といい続けました。絵を描きながらも「画家ではない」と。でも、美術評論の世界ではイラストレータはアーティストとは見なされないよね? むしろ低く見られる傾向もある。しかしながら、彼の残した作品は、まさに先進的なアートです。

 自称「芸術家」が幅を利かせているなかで、本当に素晴らしいアートは、そんな認識の外にあるものだ。そういうふうに、私は考えているんです。

無料モデルやオープンソースに興味はない

――面白い意見です。何か、アートもビジネスとして成立することでつまらなくなるような、そんなお話しともとらえられます。

グレイ いや、ビジネスとして成功することは、むしろ素晴らしいことでしょう。ビジネスとして成功して、なおかつ、みんなが喜ぶことをするのが理想です。ものづくりにとって「お金という対価を支払ってもらえるかどうか」というのは究極の審判ですよ。「これ好き」っていう発言は誰でもできるけど、お金を支払うという行為は、じっくり選別を行ったうえでしか決められない。

 よく「いろいろなものを無料で配ることを良いことだ」という人もいますけどね。私は賛成できません。ものづくりは苦労が伴うことだから、お金を支払ってもらうのは正当なことですよ。だって生きるうえでは食べなければいけないし、子供だって育てなきゃ。電子書籍の分野とかiPadアプリを作るのだって、私はお金が必要だからやっていることなんです。デザイナを雇い、プログラマを雇い、写真家を雇う。全部お金が掛かることです。お金を掛けてものづくりをするというときに、お金が帰ってくる道が見えていなければ、ダメでしょう。

 フリーミアムとか「タダで何かを提供して、それでうまくいく」という分野があることは知っています。たまたま、そういうことがうまくいく分野に、私は興味がないんです。

 そういう意味でアップルのApp Storeはクリエイティブな行為で対価が得られて生活できるという良い仕組みだと思います。お金は私にとって時間そのものであり、夢を追うための手段なんです。無料で成果を配布することには賛成できない。その行為が通用するのは限られた世界のことです。「オープンソースをやってみてはどうか」と提案してくる知り合いもいるけど、私は賛成しませんね。

楽しくなければ、時間の無駄だ

――「元素図鑑」が売れていますね。

グレイ ここ最近の売り上げは、世界でおよそ12万コピー。日本語版が、1万5200コピー売れています。日本で販売した英語版も入れると、日本市場ではもう少し売り上げがあります。

 元素の説明文を読んで「面白い」という人もいますし、「写真がきれいだ」といってくれる人もいていろいろです。

iPadアプリ「元素図鑑」(グレイ氏持参の動画より) iPadアプリ「元素図鑑」(グレイ氏持参の動画より)

 「Mad Science −炎と煙と轟音の科学実験54」を執筆したときもそうですが、コンテンツの執筆は、とても気を使っています。必ず次を読みたくなるよう工夫して書いているんですよ。特に、“つかみ”の文章は重要。ゴールは1つ。手に取った人に買ってもらうことです。「Popular Science Magazine」連載時、腕の良い編集長と話し合ったのは、「どうやって導入部分で読者を惹き付けるか」ということ。「科学に関連のある“エピソード”を盛り込むと読み進めやすい」とかね。

――何でも、ご自身で手掛けるのは、とても大変そうです。

グレイ 自分が楽しまなければ良い仕事はできません。楽しくなければ、時間の無駄です。そんなことすぐに止めて、ほかに何か楽しめることをやった方がいい。そうすればもっと、上手くいくはずですよ。私自身、自分が好きじゃないことで何かを上手くやるのは苦手です。

 とはいっても、楽しくて、かつ、自分以外の人をも楽しませられることで食べていくのは大変なことです。商売っけが全然ないと、生きていけませんからね。

“仕事”を放り出せるのは良い予兆

――どうすれば、楽しいことをやって生きていけるのでしょうか。

グレイ 何かにものすごく興味が湧いて、自分の“仕事”を放り出してでもやりたいと思えることができたら、それは良い予兆です。簡単な話、何かに長い時間をかけたとしましょう。それが人がやったことのないたぐいのことだったと分かったら、それはすごく面白いことです。「元素図鑑」を作っていたときのことを思い出しますけど、すごく楽しかったですよ! 2カ月間、それ以外は何もやらなかった。家族にも会わずにね。家族には悪かったけど、やったかいがありましたよ。

 ただ、運もあったとは思いますけどね。一生懸命やったからといって、成功の保証はないわけですし。時間をうんと使ったところで、何にもならないことだってありますから。失敗したって、誰が気にしてくれるもんですか(笑)。ただただ、楽しかったからこそ、できたことなのです。

――本日はありがとうございました!

溶けるスプーンの実験(上)と、少々お疲れ気味だったが、自ら実験を行って取材陣を楽しませてくれたグレイ氏(下)。ありがとうございました! 溶けるスプーンの実験(上)と、少々お疲れ気味だったが、自ら実験を行って取材陣を楽しませてくれたグレイ氏(下)。ありがとうございました!

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著者プロフィール

矢野 りん

デザイナ/日本Androidの会 女子部の部長

北海道足寄町生まれ。女子美術大学芸術学部芸術学科卒。講義活動を通してWebサイトなど情報デザインのトレーニングを担当しつつ、執筆活動を行う。adamrockerさんとの開発ユニット「rockrin'」のrinの方。近著に「WEBデザインメソッド−伝わるコンテンツのための理論と実践」(ワークスコーポレーション)がある。身長151cm



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