今回の事件では、コンピューターシステムのバグが東証の重過失に当たるのかを証明しきれなかったとして、東証に命じられた損害賠償額は、みずほ証券の請求額を大きく下回った。しかし、裁判所は、全てにおいて東証に責任がないと判断したわけではない。本判決が、システムのバグについてはともかく、それを運用する人的なプロセスを含めた広義の「システム」について、東証に責任があると判断したことも事実である。
本事件では、システムのバグにより「1円で61万株を売却する」という異常な注文を取り消せなかった。この点を東証は「一定の技術水準を満たす、合理的な信頼性のあるシステムを提供すれば、システム提供者としての善管注意義務違反(※)はなく、帰責事由もない」と主張した。
※善管注意義務=善良な管理者の注意をもって、委任事務を処理する義務
ある程度の不具合は不可避であるコンピューターシステムを提供する責任は、「全く欠陥のないシステムを提供すること」ではなく、「一定の技術水準を持った者が開発とその運用に当たり、信頼性も含めて必要な要件を満たすこと」であり、自分たちはその責任を全うしたという主張である。
しかし裁判所は「システム上の不具合は一般的に予見することは可能であり、回避することも可能であると解されるから、本件不具合の結果本件売り注文の取消処理が実現されなかった以上(中略)帰責事由がないとはいえない」として、東証の主張を退けた。東証がどのような努力をしたかは関係なく、「結果として取消処理ができなかった」以上、その責任は免れないとするものだ。
コンピューターシステムに不具合があるのは、ごく当たり前のことである。本件システムについても、その規模や複雑さを考えれば、何らかの不具合の発生は当然に予想できたし、回避も可能だったはずだという判断だ。
つまり、コンピューターシステムによるサービスを提供する者には、システムの不具合を前提とし、人間系の処理も含めた回避策をとるという、「人的なプロセスも含めたシステム運用責任」があるということだ。コンピューターシステムは、結局のところ道具にすぎない。大切なのは、「約束したサービスを問題なく提供し続けること」であり、道具自体が技術水準を満たすか否かは問題ではないとする、至極当然の判断といえる。
コンピューターシステムを利用したサービスを提供するベンダーには、システムの機能よりも、人的な活動も含めたプロセスの有効性を検証する必要がある。特に金銭や人命に関わるようなサービスは、使用するシステムに不具合があることを前提に、その際、誰がどのような手段をとるのか、連絡体制や責任分担も含めて入念なリハーサルが必要になる。
本件ではこうした意味での運用テストがどのように行われたのか、その場にいなかった筆者には分からない。しかし、損失が100億を超えるまで処理できなかった取消注文に対応できなかったことは事実である。
受給者に損害を負わせる危険のある処理をピックアップして、人的なプロセスを含めたテストケースを設定して問題を検出する、そうしたことの重要性を筆者もこの事件から学んだ。
2回にわたって「ジェイコム株誤発注事件」のあらましと、そこから得られる知見について解説した。前回解説したバグの認定、そして今回の重過失と人的プロセス、いずれにおいても、裁判所は技術論ではなく、結果としてのサービス提供に軸足を置いて判断している。バグや人的プロセスの問題は、それがどのような場面でどのような損失をもたらしたのか、重過失は両者の間にあった取引参加者規程に照らして、どのような問題があったのかに着目した判断である。
コンピューターシステムは、あくまで道具である。サービスの提供者、受給者が大切に考えるべきは、その技術よりもサービスそのものの安定性、継続性、耐障害性であることを心に留めておく必要があると筆者は強く考える。
東京地方裁判所 民事調停委員(IT事件担当) 兼 IT専門委員 東京高等裁判所 IT専門委員
NECソフトで金融業向け情報システムおよびネットワークシステムの開発・運用に従事した後、日本アイ・ビー・エムでシステム開発・運用の品質向上を中心に、多くのITベンダーおよびITユーザー企業に対するプロセス改善コンサルティング業務を行う。
2007年、世界的にも季少な存在であり、日本国内にも数十名しかいない、IT事件担当の民事調停委員に推薦され着任。現在に至るまで数多くのIT紛争事件の解決に寄与する。
細川義洋著 日本実業出版社 2100円(税込み)
約7割が失敗するといわれるコンピューターシステムの開発プロジェクト。その最悪の結末であるIT訴訟の事例を参考に、ベンダーvsユーザーのトラブル解決策を、IT案件専門の美人弁護士「塔子」が伝授する。
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