月額1000万円が300万になる新・映像配信って?:ものになるモノ、ならないモノ(5)
本コラムでは、ネットワークの新しいテクノロジや考え方に注目する。注目するテクノロジへの、企業の新しいスタンダードとして浸透していくことへの期待を込めてコラムタイトル「ものになるモノ、ならないモノ」にした。 「社内ブログ」「1ギガ」「D-Cubic」「Zigbee」に続き、今回はIPv6を1年前にはじめて知ったという経営者が実用化したブロードキャスト映像配信にスポットをあてる。(編集部)
実際にこの目で見るまでは半信半疑だった
実際に会って話を聞くまでは半信半疑だった。だが、目の前で動いているモノを見せられたら納得しないわけにはいかない。IPv6のマルチキャスト機能を使ったFTTH型企業内放送の商用サービスが、小さなベンチャー企業の手により始まっているのだ。
いつまでたっても本格的に離陸する様子を見せない一般向けのIPv6系サービスだが、大企業がもたもたしている間にとんだ伏兵が現れ、おいしい部分をサッとさらっていく、そんな印象すら感じさせてくれる今回のサービスだ。
IPv6のマルチキャストを使った一般向けサービスで本格化しているものといえば、4th MEDIAのFTTH回線を使ったSTB向けテレビ放送サービスがあるが、こちらは巨大通信企業であるNTT東日本と、これに参画するプロバイダが構築したもの。「そりゃあんたらなら、IPv6網だって簡単に構築できるでしょ」という感覚で見てしまう。
しかし、失礼ながら「ビーケア」という名もない小さな企業がIPv6のマルチキャストを使ったサービスを実際にフィールドで商用化しているというのだから、にわかには信じられなかったわけだ。今回紹介する「i-Inpro V6」は、いうなればFTTH回線を利用した企業内放送システム。これまで衛星放送を使って行われていた分野に、圧倒的な低コストを武器に切り込もうというものだ。
IPv6網はフレッツ・ドットネットを利用
このコラムの読者ならまず気になるのが、「IPv6網はどうやって構築したのか」という部分であろう。ご存じのように一般的なインターネットはIPv4で運用されており、そこではIPv6のマルチキャストサービスを実現することはできない。筆者の疑問もそこが発端だった。答えは、NTT東日本が地域IP網の中に構築したIPv6網とその関連サービスである「フレッツ・ドットネットEX」だった。
ちなみに、「フレッツ・ドットネット」※1は、一般のフレッツユーザーが月額315円の付加料金でテレビ電話などを利用するIPv6サービスだが、フレッツ・ドットネットEXは、フレッツ・ドットネットユーザーに向けたIPv6サービスを提供する企業向けの一種のハウジングサービスのこと。i-Inpro V6は、これらの仕組みを上手に利用しているのだ。
※1参考記事:
@IT Master of IP networkフォーラム2007年、本格的なIPv6時代を見据えたマネージド・サービスの利用術とは? <2004/9/10>
@IT NewsInsight NTT東西が新サービス、「われわれがテレビ電話文化を創出する」 <2004/7/22>
@IT NewsInsight 月額300円でIPv6、NTT東日本が新サービス <2004/1/14>
現在、i-Inpro V6を自社の業務に取り入れて利用しているのは、「TOMAS(トーマス)」という進学塾。首都圏にある五十数カ所の教室に向けて、人気講師の授業風景を定期的に放送するという用途で使っている。各拠点には、Bフレッツが引き込まれており専用のIPv6対応STBに接続されている。映像は50インチのリアプロジェクションテレビに映し出され、塾生が各教室でテレビ越しに授業を受けるという仕組みだ。
本来なら、このような企業内放送には衛星放送が使われる。大企業や大手予備校などが全国の拠点に向けて教育や授業のための放送を行っている。だが、その構築コストは、2億円や3億円は当たり前で、ランニングコストも月額1000万円台にも上るそうだ。それと同等の機能を、このi-Inpro V6は、初期費用1700万円弱、月額コスト300万円以下で提供するというのだから驚きだ。まさに衛星放送キラー、企業内放送システムの“超”価格破壊というわけだ。
MPEG-4の映像を約2秒のタイムラグで放送
ビーケア代表取締役社長・廣野正弘氏は、このサービスについて「衛星放送と同等のことがこれだけの低コストでできるのも、IPv6なればこそ。中でもマルチキャストこそIPv6の申し子」と力説する。さらに付け加えるなら、「テレビ受像器の発達もこのサービスに好都合」(廣野氏)という。実際、i-Inpro V6では、MPEG-4でエンコードされた映像を約2秒のタイムラグで放送しているのだが、各拠点では、DVD並みの画像がSTBとD端子で接続された50インチの大型モニタで映し出される。筆者の印象では、MPEG-2エンコードされた衛星放送の画像よりもきれいだった。
さらに、驚きなのは配信側の設備も非常に簡素だということ。衛星放送の場合、ライティングが整ったスタジオに調整室という大規模な設備を必要とするが、i-Inpro V6では、民生用のハイビジョンカメラが接続されたエンコード用のパソコンがあるだけ。人気講師の授業風景は、蛍光灯照明の普通の教室で行われているが、テレビに映し出された映像はまったく違和感なく見ることができる。
実際、廣野氏も、「衛星放送の場合、5人程度の放送スタッフが張り付く必要があるが、i-Inpro V6ならカメラ担当者1人でも放送が可能」と人件費の安さに関しても胸を張る。
これほどの価格破壊を実現する企業内放送システムだけに、衛星放送を入れたくてもコストの面で断念していたユーザーにとっては大いなる朗報といえる。特に、塾のように、生徒から受講料を取れる、いわゆる日銭を稼げる利用形態であれば、導入の効果もさらに上がるというものだ。
ちょっと心配なのは、テレビのモニタ越しの授業で生徒は勉強が身に付くのか、という部分だが、「魅力的な授業をする講師であれば、たとえモニタ越しでも生徒の習熟度は高い。それは能力のない講師に対面で教わるより良い結果をもたらす」(廣野氏)とのこと。また、「50インチのモニタで、講師の姿がほぼ等身大に映る点が重要」(廣野氏)だそうだ。
実際、4年前に中学受験を経験し、いまも日々塾通いを続ける娘に、その点を確認したところ「テレビの授業は受けたことはないが、講師の教え方が分かりやすければテレビ越しの授業も全然OKなのではないか」とのことだった。テレビに映る人気タレントの一挙手一投足を食い入るように見つめる、わが子の普段の姿を見ていると確かにそうなのかもしれない。
NTTが真っ先に始めても良さそうなサービスだが……
このようなサービスは、IPv6網であるフレッツ・ドットネットを構築した本人であるNTT東日本自身が真っ先に始めても良さそうな気がするが、廣野氏によると「当初、NTTのIPv6網を構築した技術者は、口をそろえて、できない! 無理だ!といった」そうだ。ただ、i-Inpro V6は、特に画期的な技術を使っているわけでなく、「現存するIPv6技術や映像の圧縮技術の組み合わせから生まれたもの」(廣野氏)であり「あるポイントに気付くかどうか」(廣野氏)の問題とのこと。筆者としてはそのポイントを知りたくしつこく迫ったのだが「最大の企業秘密」として教えてくれなかった。残念。
それにしても、テレビ電話やIPマルチキャスト放送が大好きで、実際にこの手のビジネスに興味津々のはずのNTTからこのようなサービスが登場せず、名もない小さなベンチャー企業が真っ先にこのサービスを実現したのは実に拍手喝采ものだ。
このサービスは、企業の利用だけでなく、宗教法人における全国支部への信者向けの放送、人気歌手のコンサートライブ中継(ファンは中継会場のようなところに集まって大スクリーンで見る)などといった、これまでコストの面で実現できなかった、あらゆる分野の組織内向け放送ビジネスが可能となるだろう。
半信半疑で取材に出掛けた今回のIPv6マルチキャスト放送サービスだが、何か偶然にも宝物を見つけたような気持ちにさせてくれた。将来が楽しみだ。
著者紹介
著者の山崎潤一郎氏は、テクノロジ系にとどまらず、株式、書評、エッセイなど広範囲なフィールドで活躍。独自の着眼点と取材を中心に構成された文章には定評がある。
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