携帯電話業界では秋冬モデルとなる新製品発表で盛り上がっているが、その影で携帯電話のメールを持ち運ぶ新しい仕組みが発表されている。携帯メールポータビリティは巨大なキャリアのオープン化を実現するきっかけとなるのだろうか。日本通信にそのねらいを聞いた。
2007年9月、携帯電話ビジネスを取り巻く環境が今後大きく変化することを予感させる出来事が立て続けにあった。1つは、携帯電話のビジネスモデルの在り方について検討を重ねてきた「モバイルビジネス研究会」の報告書がまとめられた件だ。もう1つは、MVNOの草分けである日本通信とNTTドコモとの間で決裂していた接続交渉に、日本通信有利の大臣裁定案が提示されたことだ。
どちらの内容を見ても、携帯電話ビジネスの潮流が「オープン化」に向かって流れを早めていることは明白だ。
そのような中、将来、携帯電話のネットワークがオープン化されたらこのような姿になるのでは、と思わせるサービスが始動したのをご存じだろうか。それは「TANGOメール」である。TANGOメールとは、日本通信の100%子会社である丹後通信が、京都府の日本海側の一地方都市から発信する、携帯メールポータビリティサービスだ。
販売奨励金の問題と密接にリンクした販売方法の登場や新機種の発表会のような派手さがないだけに、大きなニュースにはならなかったが、近未来の携帯電話ビジネスを占ううえで、このサービスにこそ注目すべきなのだ。
TANGOメールについて解説する前に、「携帯電話のオープン化」について確認しておきたい。一言でいうと、キャリアにより垂直統合された携帯電話ビジネスの仕組みを、PCによるブロードバンドインターネットと似たようなモデルにしようというものだ。
いまのブロードバンドの仕組みは、ユーザー→PC→回線事業者→プロバイダー(ISP)→コンテンツ(アプリケーション)提供者と役割分担され、それぞれのレイヤで新旧のプレーヤたちが群雄割拠、しのぎを削っている。
成長期を終え成熟期に移行、つまり、このままでは下り坂が待ち受けている携帯電話ビジネスの世界に新たな市場をつくり出すには、インターネットがそうしてきたように、オープン化への歩みが強く求められている。
思い起こせば、これは“いつか来た道”だ。NTTが電話線をアンバンドル(開放)化したことで、ADSLが急速に普及し、定額制のブロードバンドの上で新しいネットビジネスが活況を呈し、Web 2.0ビジネスが開花した。次は、モバイルの世界でこれを実現しようというわけだ。
さて、TANGOメールに話を戻そう。TANGOメールの売りは、携帯メールポータビリティにある。ナンバーポータビリティの携帯メール版ともいうべきこのサービスだが、その名のとおり、キャリアを変えても携帯メールアドレスは変えなくて済むというもの。現状は、番号は移行できても携帯メールアドレスは無理だった。
ただ、2006年の10月に始まったナンバーポータビリティの利用は、携帯電話保有者の3%(342万件)にとどまっているという。この利用率を見ると、ユーザーは携帯メールアドレスを持ち歩きたいのだろうか、という疑問も起きる。
だが、携帯メールポータビリティのメリットは、キャリア間の携帯メールアドレス持ち運びに本質があるのではない。携帯電話とPCで携帯メールアドレスを一元化できることが最大のメリットなのだ。携帯メールポータビリティを提供するTANGOメールで取得した携帯メールアドレスは、PCからはもちろん、携帯端末からも読めるわけだ。
「なにいってるの? au oneメールなどWebメールを使えば、いまだってそれはできるでしょ」と決め付けるのはまだ早い。TANGOメールは、携帯電話端末の「メール」ボタンに直結しているのだ。つまり、従来なら、メールボタンを使って接続できるのは、キャリアのメールサーバに限られていたのが、このサービスを利用するとTANGOメールのサーバに接続するようになるというわけ。
Webメールと異なり、普段使っている携帯メールの使い勝手そのままに、PCメールとの一元化と、キャリア間ポータビリティを実現したのがTANGOメールなのだ。もちろん新着メールは、プッシュで端末に配信される。Webメールのようにこちらから読みに行く必要はない。
ちなみに、NTTドコモの携帯電話端末には、メールボタンやiモードボタンを押したときに、接続するサーバを自由に設定する機能が設けられているのをご存じだろうか。TANGOメールのユーザーは、その設定を行うことでこのサービスを実現する。これは、後述する仕組みでTANGOメールのネットワークとNTTドコモのネットワークが、日本通信を介して接続されていることで実現したサービスなのだ。
とはいっても、「その程度のメリットじゃあ、このサービスを積極的に利用するほどのことは……」という声も聞こえてきそうだ。その気持ちも分かる。だが、筆者は、TANGOメールというのは、日本通信が今後推進しようとしている携帯メールポータビリティビジネスの、象徴というか、マスコット的な存在なのだと思っている。
日本通信は、得意の法人向け分野で今後このサービスを積極的に推し進めるとしている。図1を見てほしい、日本通信は、キャリアのネットワークと接続し、(キャリアから見た)川下に、契約企業やISPを接続する予定だ。
日本通信の福田尚久CFOは、「社内メールを携帯電話端末で扱いたいというニーズは確実にある」と、このサービスに自信を見せる。それは、「高価なBlackBerryを導入する企業がいるのを見れば分かる」とも。
確かに、メールボタンがキャリアのサーバにリンクされている現状では、携帯電話端末で社内メールを読むというのは無理な話だ。ましてや、ブラウザを使ったインターネット経由接続ともなると、ファイアウォールだのVPNだのといったややこしい話になり、一部の法人向け機種を除き、現状の携帯電話端末の出る幕ではない。
しかし、ネットワーク図を見れば分かるように、このサービスであれば、日本通信を経由して、キャリアと社内のメールサーバが直結するわけだから、セキュリティ的には申し分ない。
そして、驚いたことに、話はメールだけに終わらない。「iモードボタンなど、端末のブラウザボタンを押すと、イントラネットのサーバにじかにアクセスできるようになる」(福田氏)というのだ。
つまり、先ほどのTANGOメールのところで説明したように、「ブラウザ」ボタンの接続先サーバの設定をイントラネットのサーバに設定しておくことで、携帯電話向けのインターフェイスを持つグループウェアを導入していれば、携帯電話端末でグループウェアにアクセスすることもできるわけだ。
日本通信では、このサービスを1ユーザー当たり1600円/月(定価ベース)で、法人向けに売り込みたいという。「音声通話料やパケット代は、これまでどおりキャリアにお支払いいただいて、別途、この部分で日本通信と契約していただくだけなので、電話契約の切り替えといった面倒な手続きは不要」(福田氏)という。
日本通信が実施しようとするこのサービスに、オープン化された近未来の携帯電話ビジネスの仕組みを垣間見ることができる。それはさながら、PCのブロードバンド化の様子を見ているようだ。キャリアの縛りから解放され、ユーザーが接続先を自由に設定できる端末の「メール」と「ブラウザ」のボタンは、端末がPCに一歩近づいたように感じる。
また、日本通信は、ADSLを提供するアッカ・ネットワークスやイー・アクセスのような立ち位置で、企業やISPに回線を仲介する。企業やISPは、端末=ユーザーに向け、キャリアの顔色をうかがうことなく、オープンな形でコンテンツやサービスを提供する。それは、「The Internet」を経由した接続とは異なるので、コンテンツ料の回収に関しても、現在の公式コンテンツと同じスキームで可能であろう。そして、キャリアは、ADSLでいうところのNTT地域会社の役回りということになる。
実は、第三世代携帯電話(3G)が普及した際の携帯電話を取り巻く環境の在り方については、2001年6月に公表された「次世代移動体通信システム上のビジネスモデルに関する研究会」(通称:IMT-2000研究会)が報告した、3Gが本格導入された際の「携帯電話ビジネスモデルのオープン化の提言」で取り上げられている。
それにしても、2001年に提言され、電気通信事業法的にも接続要求に応じる義務があり、ここで提言された事案に、キャリア側も対応を約束し検討するとしたことが、なぜいままで実現できなかったのだろうか。
ある業界関係者によると、「過去いく度となく、日本通信のようなサービスを掲げたISPが現れた。しかし、キャリア側に接続の要求を申し入れても、やんわりと断られ続けた」という経緯があるという。垂直統合モデルを死守したいキャリアとしては、これまで面従背腹でのらりくらりと逃げてきたというのが本当のところだ。
実は、この仕組みを使って、NTTコミュニケーションズが、NTTドコモの携帯電話で、今回と似たようなサービスを提供しているのだが、グループ企業ということもあり「オープン化へ対応しているというポーズ」(業界関係者)にすぎないという見方もある。
NTTドコモは端末に「接続先設定機能」を搭載しているが、「auとソフトバンクモバイルは、『接続先設定機能』を搭載していない」(福田氏)という。つまり、この2事業者の端末の「メール」と「ブラウザ」ボタンは、ユーザーによる設定の自由を完全に奪い取っている格好だ。
日本通信として、そのような「接続先設定機能」を搭載していないauとソフトバンクモバイルを相手に、今回のようなサービスを提供できるのかと心配になる。ただ、福田氏は「希望ユーザーについては、キャリアがネットワーク側でルーティングの設定をすれば良いこと。ユーザーからすると切り替え設定が不要な分手間要らず」と意に介していない様子だ。
日本通信では、現在、NTTドコモと接続に関する交渉を進めている。また、同時にほかの2事業者とも話し合いを進めており、3キャリアでこのサービスを提供する予定だ。
一見地味なTANGOメール開始の背景には、日本通信が推進する携帯電話ビジネスのオープン化戦略が潜んでいることをご理解いただけただろうか。ちなみに大いに気になるのが、無料でメールアドレスを提供するTANGOメールの収益源だ。それについては「携帯メールポータビリティと同時に、ブラウザボタンでの接続先を、Googleモバイルなど8つ提供し、接続先から収益を得る」(福田氏)予定だという。ユーザーは、ブラウザボタンを押した際に表示される接続先を8つのポータルサイトの中から選ぶということだ。
今回のTANGOメールや日本通信の戦略を考察して感じるのが、KDDIとだけ提携したGoogleの戦略のミスだ。Gmailというキラーアプリの可能性を、自ら封殺するかのごとく、現状ではau Oneの一部として、KDDIの下請けに甘んじている格好だ。福田氏も「プライドの高いシリコンバレーの企業として考えられない」と漏らす。
KDDIと単独提携したいまとなっては、NTTドコモやソフトバンクモバイルがGoogleと提携してGmailを導入するとは考えにくい。これだけの、キラーアプリを1社のキャリアに独占させるのはあまりにももったいない。Googleは、日本通信と同様に、各キャリアにMVNOとして接続を要求すべきではなかったのか。
最後になったが、TANGOメールを提供する丹後通信代表取締役社長の沼田憲男氏にこのユニークな名前の由来を聞いた。「京都府の日本海側に位置し、あまり着目されることのない丹後地方から、このような先進的なサービスが誕生したことに意義がある。これは同時に、WiMAXのような次世代無線アクセスシステムが実用化された際に登場するであろう、地域MVNOへの布石でもある」と、その壮大な計画を語ってくれた。
著者の山崎潤一郎氏は、テクノロジ系にとどまらず、株式、書評、エッセイなど広範囲なフィールドで活躍。独自の着眼点と取材を中心に構成された文章には定評がある。
近著に「株は、この格言で買え!-株のプロが必ず使う成功への格言50」(中経出版刊)がある。
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