eコマースでトラブルに巻き込まれたとき助けを求めればいいのか。時間やお金が掛かる裁判以外の方法がある
洋服の掛け違えたボタンを元に戻すには、一度全部外してまた初めから掛け直せばいい。だが、一度掛け違った人の感情を元に戻すのはそう簡単なことではない。特に、ネット取引のように、Face to Faceではない売買行為から生じたトラブルの場合、当事者同士での修正は困難を極める。
ECネットワークは、オークションやネットショッピングはもちろん、サービス系(オンラインゲームやポイント制の出会い系など)なども含めたeコマース全般のトラブルに関して、売り手と買い手の間に入って問題解決を手助けしてくれる組織だ。
ここには、消費者からの相談が1カ月に50〜60件寄せられており、同社のサイトにログイン(会員限定)すると、過去の事例が処理経過や解説とともに詳細に記録されている。これを読んでいて、冒頭の思いが頭を駆けめぐったわけだ。
そこには、消費者側の知識不足や間違った思い込みなどから発生するトラブル、過剰な反応によるもの、売り手側の常識に欠ける対応や、明らかに悪意ありと思われる案件に起因するトラブル事例などが多数掲載されており、ドロッとしてネチョッとまとわり付くような、めくるめく人間模様を垣間見た気がした。不謹慎だと思いつつもいわせてもらうが、読み物として楽しんでしまった。まさに「事実は小説より奇なり」といったところであろうか。
ここで、ECネットワークという組織について説明しておこう。ECネットワークの前身は、経産省が実施している次世代電子商取引推進協議会(ECOM)に置かれていた「ネットショッピング紛争相談室」にある。
ここでは、ADR(Alternative Dispute Resolution=裁判外紛争解決手続き)と呼ばれる問題解決手法で、eコマースでトラブルに巻き込まれた消費者を救済する実証実験が行われていた。
近年、食品の産地や原材料の偽装問題、中国産ギョウザ問題などをきっかけに霞が関や永田町かいわいでは「消費者保護」や「消費者庁」というキーワードが飛び交っているが、その延長線上として、ADRという消費者保護手法にも注目が集まっている。
もし、あなたがネットショッピングでトラブルに巻き込まれ、なんらかの損害を被るような状態に追い込まれたらどうするだろうか。詐欺など事件性のあるものなら警察を頼るだろうし、場合によっては裁判に、となるかもしれない。
しかし、「刑事マターというほどじゃあないので警察は……」あるいは、「裁判はお金も時間もかかるので……」といったレベルの案件の場合(というかトラブルの多くがそのような案件だと思う)、どこに頼っていいのか悩むだろう。
そのような、“重くない”案件にアドバイスをもらったり、場合によっては仲介に入って解決を手助けしてくれたりする仕組みがADRであり、ECネットワークはその名が示すとおりeコマースの紛争処理を得意とする組織なのだ。
消費者からのトラブル相談と聞くと、国民生活センターを思い浮かべる向きも多いと思う。確かに国民生活センターもネット関係のトラブル相談を受け付けているが、ECネットワークは、その活動の基本理念に『「安心して参加できるインターネット取引市場」の実現を目指して』とうたっているだけあり、ネット分野の相談において頼りになる存在、という位置付けであろう。
独立行政法人である国民生活センターの名前を出したことで、ECネットワークのことを公的な機関だと誤解を招くといけないので、あえて付け加えると、この組織は「有限責任中間法人」という組織形態で運営される民間の団体なのだ。
公的予算で運営された3年間の実証実験が終了した後、eコマース分野の紛争処理を得意とする組織の必要性を痛感した沢田登志子理事が「役所に期待しないで自分たちでやるしかない」と民間によるADR事業の立ち上げを決意した。それが現在のECネットワークだ。
民間運営となると、気になるのがビジネスモデル。まさか消費者からの相談受け付けを有料にするわけにはいかない。そこで沢田理事は、ECネットワークを会員組織とし、ネットの販売者やサービス提供者を会員として募り、会費を徴収する仕組みを構築した。
運営のための原資は、会員からの会費が中心となる。会費を徴収する一方で、会員にはトラブル対応や解決のノウハウなど情報提供、仲介コンサルティング、セミナーなどを提供している。
そのような運営基盤を築いたうえで、一般消費者からの相談は無料で受け付けている。「消費者からの相談は大切なネタ元」(沢田理事)というだけあり、日々寄せられる相談内容こそが、有料会員向けの解決ノウハウやコンサルティング業務などの源泉となっている。
しかし現状では、会費だけでは事業運営を賄えず「日本財団からの寄付と官庁からの受託事業で存続している状態」(沢田理事)だという。
また、ECネットワークの存在そのものの認知度が低いせいか、会員名簿には大手企業の名前が目立つ。だが、この組織の本来の目的からいうと、「個人運営のネットショップのように小さな事業者の会員が増えることが理想」(沢田理事)であり、そのような事業者に対し存在感を高める努力を日々続けているそうだ。
ここで少し気になったのは、会費という形で会員である事業者の側からお金を受け取って、消費者との間に入って中立的な“お裁き”ができるのかという部分。つまり、お金を出す事業者の方を向いた対応になってしまう心配はないのか、という点だ。
この点について沢田理事は「会員はあくまでも情報提供やコンサルティングサービスの対価として代金を払ってくれる“お客さま”であって、組織の意思決定に関与する立場にない」といい切る。
とはいえ、会費という形であったとしても、紛争の一方の当事者(会員事業者)が資金負担をしていることに違いはない。そのような状態で紛争解決を行うことに「一点の曇りもない」と断言できるのだろうか。
現にある紛争処理機関は、企業からの出向者がADRを担当しており、企業寄りの“お裁き”が下る懸念は払拭(ふっしょく)できない。この点について「資金提供を受けることと中立性確保をどのように両立させるかは、すべての業界型ADRが抱える永遠の課題」(沢田理事)と明かしてくれた。
そのような問題点を踏まえたうえでECネットワークでは、業界からの出向者を受け入れるようなことはせず“ヒト”の部分で独立性を保ったり、次に述べるように手続きのプロセスを工夫したりすることで中立性を確保している。
その工夫とは、会員事業者からの仲介依頼についても、最初に相手の消費者からECネットワークに相談が持ち込まれることを前提としている。そのため、仲介希望会員は、相手消費者に対しECネットワークに相談するよう誘導することが求められる。
これも、「売り手側である会員からのコンサルティングサービスを行った後にECネットワークが仲介に入ると、消費者との間で中立性を保てなくなる恐れがあるから」(原田由里理事)というもの。
冒頭でも説明したようにECネットワークの会員になると、これまでの消費者からの相談事例について、処理経過や解説を閲覧することができる。このような情報は、事業者として消費者とのトラブルに直面した場合に大いに参考になる。
大手企業であれば、システム化されたサポート業務の一部として過去トラブル例のデータベースを構築し、新たなトラブルへの備えとすることも可能であろう。だが、中小のeコマース事業者でこれを行うのは大変だ。そういった意味でも、小さなネットショップに参加してほしいとするECネットワークの考えは、まさにそのとおりだと感じた。
また、ADRという事業そのものにも大いなる将来性を感じずにはいられなかった。ネットの中を流通する情報量は、日増しに増大し続けている。現在は、Googleのような企業がそれら情報を自動で分類し、それを必要とする人のところに送り届ける仕組みを提供している。今後は、マイクロフォーマットやセマンティックWebといった技術が高度化し、さらに精度の高い分類と頒布が可能になるに違いない。
だが、技術が高度化し情報処理の自動化が進んでも、冒頭で述べたように人の感情が絡む情報の処理を機械が自動で行うことはできない。そこには必ず人の介在が求められ、知識、経験などに裏打ちされた“人間対人間”の処理スキームが不可欠だ。コンピュータによる情報処理システムは、それをバックアップする道具にすぎない。ネット社会が高度に発達すればするほど、ADRの存在価値が今後飛躍的に高まっていくことを確信した。
著者の山崎潤一郎氏は、テクノロジ系にとどまらず、株式、書評、エッセイなど広範囲なフィールドで活躍。独自の着眼点と取材を中心に構成された文章には定評がある。
近著に「株は、この格言で買え!-株のプロが必ず使う成功への格言50」(中経出版刊)がある。
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