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集合知を独自に検索して真実を導く、kizasiものになるモノ、ならないモノ(12)

「もはや情報は、メディアが一方的に伝えるものではなくなっている」と多くの人が声をそろえる。国産ブログ検索のkizasiにその意味と試みを聞いた(編集部)

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マスメディア報道に徹底的に引っ張られるブロガーたち

 「フォークソノミー」(folksonomy:folks=民衆とtaxonomy=分類学の合成語)や「集合知」という考え方に注目が集まっている。『「みんなの意見」は案外正しい』(角川書店)などという書籍が売れて、梅田望夫氏も『ウエブ進化論』の中で、『不特定多数の意見をどのようなメカニズムで集積すると一部の専門家の意見より正しくなるかについての「wisdom of crowds」(群衆の叡知)』といったことを詳細に言及している。

 おそらくこれからのネットビジネスは、フォークソノミーや集合知なくしては語れないのだろう。というわけで、これら2つのキーワードを核に据えて独自のサービスを展開しているビジネスを取り上げたい。

 「kizasi.jp」は、いま、ブログで話題になっている「言葉」に注目したユニークなサービスだ。トップページを見ると過去24時間にブログで多く書かれた言葉を拾い上げランキングを付けている。日本のブロガーの興味や関心の波動を感じ取れるようで、このサイトにはついつい長居をしてしまう。

ブログで話題の「言葉」 「言葉」の質を変えた事柄 ブログでの取り扱い記事数の推移
刺客 <選挙>のイメージを変化(エンタメ化) 発生 05.08.13
頂点 05.09.12
最大 1105
耐震偽装 <マンション>の観念をマイホームから不安の対象に 発生 05.11.19
頂点 06.01.17
最大 246
梅雨入り 日本の<季節>を推移 発生 06.05.13
頂点 06.06.09
最大 4854
表1 kizasi.jpで話題となった言葉の例

 ただ、筆者はこのサイトのランキングに以前から釈然としないものがあった。というのは、ここに登場する「言葉」の多くがマスメディア報道に徹底的に引っ張られているからだ。いや、何もそれが悪いといっているのではない。

 筆者自身、ブログという新しいメディアは、マスメディアと対極に位置するものと勝手に思い込んでいたからだ。実際、自身で主宰する4つの個人ブログでは、すでに2000近いエントリーが蓄積されているが、従来型マスメディアで報道された話題を取り上げたことは数えるほどしかない。あくまでも、日ごろから継続的に思考している自身の考えを吐き出す場であったり、そうでなければ極めてドメスティック(家庭的)な話題に終始し続けているからだ。ブログとはそういうもので、多くのブロガーもそのような姿勢でブログを書いているものと思っていた。

900万ブロガーの時代になっても、マスメディアの力は強し?

 だが、このランキングを見ると、世の中の多くのブロガーは新聞やテレビに反応したり触発されてエントリーをつづっていることが見て取れる。900万ブロガーの時代になっても、マスメディアの力は強しというところだろうか。

 ただ、ランキングを継続的に見ていくと、ネットならでは、ブログならではの「言葉」も散見されて、なぜか安心するときがある。なぜ安心するのか分からないが、ネット大好き人間のマスメディアに対する対抗心であろうか。

 この原稿を書いている9月2日のランキングに、飼い犬が連れ去られた事件の顛末(てんまつ)をつづったあるブログが発信源の「言葉」に入っている。「いつもはアクセス数が10件ほどのこのブログ。昨日は1000件を超えました」「昨日のアクセスは4万件以上のようです」(ブログより)とあり、ブログ検索の「テクノラティ」で調べてもこの話題について、かなりの数のエントリーがなされているのが分かる。

 マスメディアとは無縁なブログエントリが、リンクとトラックバックにより共感と同情の連鎖が生まれている様が見て取れて、「ネットはこうでなくっちゃ」などと思ったりする。

 まあ、筆者自身も犬を飼っているのでこのブログには人ごとではないシンパシーを感じたのは事実だけに、愛犬家ブロガーの関心の波紋が“あちら側”で大波となって広がっているのが感じ取れる。

 ただ、ちょっと残念なのは、この一件でブログ連鎖のパワーを実感しているはずの、ブロガーたちの中に「マスコミが動く」ことを期待している人々が多いということであろう。実際、くだんのブロガーには、マスメディアからの問い合わせがかなり多いようなので、それはそれでよいのだが、「やはりそうなるのね」といった心境だ。まあ、話題提起の流れとして、マスメディア→ブログが大部分を占める中で、この例は、ブログ→マスメディアという形になっているわけだから、それはそれで頼もしいことのだが。実は、「kizasi.jp」を最も有効に利用しているのは、マスメディアだったりして……。「つながるテレビ@ヒューマン」なんて例もあるくらいだからね。

先入観や偏見とは無縁の検索プログラムという仲介者

 おっと、のっけから話がそれてしまった。今回のテーマは「フォークソノミー」だ。上記のようなことを感じつつ「kizasi.jp」をウオッチしていていつも感じるのは、このような形で蓄積した情報は何の役に立つのだろうか?という疑問だった。

写真1:シーエーシー・KIZASI事業室副室長テクノロジー統括・稲垣陽一氏
写真1:シーエーシー・KIZASI事業室副室長テクノロジー統括・稲垣陽一氏

 シーエーシー・KIZASI事業室副室長テクノロジー統括・稲垣陽一氏は、「単にブログの検索エンジンとは考えないでほしい。話題の計測・発見エンジンだ」と胸を張る。これだけ聞かされてもよく分からないが、つまり、マスメディア的な情報伝達は、良きにつけあしきにつけ、放送局、新聞社、編集者、記者といった作り手側の考えや思惑が盛り込まれている。時にそれが恣意的な方向性へと導かれることも珍しくない。

 筆者も長くライターをやっていて、始めに結論を提起し、それに併せて事実を積み上げる、なんて現場に出くわすことは珍しくない。

 だが、「kizasi.jp」が目指しているのは、ブロガーのエントリーを基に、世の中の話題を、先入観や偏見とは無縁の部分で独自の検索技術を使って組織化し伝達することだ。「検索プログラム」という、感情とは無縁の“仲介者”によって体系化、組織化された話題こそが真実(に最も近い)なのだ、というわけだ。

その言葉に対するブロガーのイメージの変遷

 そんな「kizasi.jp」の目指す世界は、トップページの言葉のランキングより「kizasi labo」で公開されている「きざし的フォークソノミー」を試した方が理解しやすい。

 「きざし的フォークソノミー」は、「任意の言葉を『タグ(参照記事:Webの情報を関連付けるタグで管理・検索を便利に』と見立てることで、一種のフォークソノミーを自動生成することができます」(ホームページより)というもの。

 まあ、これは私が言葉で説明するより実際に試してもらうのが一番だ。「きざし的フォークソノミー」にいろいろなキーワードを入力して検索してみると、その言葉に対するブロガーのイメージの変遷のようなものが伝わってくる。

 例えば、「マンション」という言葉を見ると、昨年の耐震強度偽装事件以前は、「マンション」とともに語られるのは、「ベランダ」「我が家」「賃貸」といった言葉が多く、「マンション」の周りには、不動産物件およびアットホームな宇宙観に彩られた「共起語」(詳細は後述)が漂っていた。だが、事件以降は、読んでいて暗くなるようなネガティブな言葉が「マンション」とともに語られることが極めて多くなっている。

 人々の耳や目から「マンション」という言葉がインプットされた途端、その思考の中心に浮遊するのは「偽装」「倒壊」といった“負”の感覚が先行するようになったのだろう。

頻度が同じでもより重要な結び付きを持つ「共起語」

写真2:シーエーシー・KIZASI事業室エンジニア・原川浩一氏
写真2:シーエーシー・KIZASI事業室エンジニア・原川浩一氏

 ちなみに、「共起語」というのは、そのキーワードとともに語られた結び付きの強い言葉のこと。「きざし的フォークソノミー」では、「頻度と結び付きの度合いから判断して抽出している」(シーエーシー・KIZASI事業室エンジニア・原川浩一氏)そうだ。その仕組みは以下のとおり。

 例えば、「ごはんを食べた」「うなぎを食べた」という2つのフレーズがあったとしよう。これを土用の丑の日に「食べた」というキーワードでどちらが重要な「共起語」なのかと分析する。すると、その頻度がまったく同じだった場合「うなぎ」の方が重要な意味を持つ「共起語」と判断されるのだ。

 つまり。「ごはん」と「食べた」は、1年365日恒常的に頻出する言葉の結び付きだが、土用の丑の日に登場した「うなぎ」と「食べた」という結び付きは、たとえ「ごはん」と頻度が同じでも、「うなぎ」の方がより重要な「共起語」として判断されるわけだ。

画面1 共起語の一覧で、話題の言葉がどのようにイメージされているかが分かる
画面1 共起語の一覧で、話題の言葉がどのようにイメージされているかが分かる

 また、「きざし的フォークソノミー」では、その言葉の登場頻度が時系列のグラフで示されるのだが、これを眺めていると、ブロガーの感情的な波動がグラフのポイントを鋭角に押し上げている様を感じずにはいられない。例えば、「落胆」という言葉で検索すると、6月13日に頻度が突出しているのが分かる。この前日の12日は、W杯で日本がオーストラリアに負けた日だ。

 「落胆」という言葉をキーボードで打ち込んでまで己の落ち込みを表現するブロガーの向こう側には、その何万倍も何十万倍もの同じ感情を抱いた人々がいることは想像にたやすい。これは、ある意味、テレビの情報番組でスポーツバーに集結したサポーターが残念がる様子の映像を見せられるより、はるかに多量の民意としての感情を伝えてくれているわけだ。

kizasiの3つの収益源

 で、気になるのが、このような「kizasi.jp」の活動がビジネスとしてどうなのか、という部分であろう。事業としての収益は3つを見込んでいる。1つは、マーケティングのための情報をASPとして提供する「ブログクチコミサーチ」がそれだ。月額4万9800円で約10万件のブログのエントリーから取得した情報を「クチコミ」情報として利用できる。そして、もう1つは、サイトを1つのメディアとして位置付け、広告料収入を得るというものだ。

 そして、3つ目は、他事業、他ジャンルとのコラボレーションとなる。その代表例がすでに動き始めている「musicmarQ」だ。ブロガーのエントリーから得られたアーティストの情報と音楽ダウンロードやCDのネット販売を結び付けるこの試みは、音楽制作業をなりわいとする筆者にとっては実に興味深いものがある。ただ、ランキングのページで、ブログのランキングとCDやダウンロードのチャート情報をふかんで見ていると、一致する部分が必ずしも多くないのは、ブログでの話題性が必ずしも音楽の購入に結び付いていないということなのだろうか。ただ、だとすると、ブログ界には、リアルとは違った経済圏のようなものが構築される可能性を秘めている、とも受け取れる。今後が楽しみだ。

 いずれにしても「kizasi.jp」のようにブログから得られる集合知をビジネスに生かそうという試みは始まったばかりだ。個人の日常の思考やその記録が、ほぼリアルタイムで集められるこの仕組みは、これまででは考えられないような形の情報を集積して組織化できる可能性に満ちている。

 ただ、筆者の場合、ブログを書いているとき、読まれることを前提に文章を“演出”し、行動の記録を“脚色”している自分がいることにふと気付くときがある。ほかのブロガーがどのような心境でエントリーをつづっているのか知る由もないが、“あちら側”で日々飛び交っている膨大なブロガーの思考の、どこまでが“ホンネ”なのかという疑問を、常に持っているのも事実なのだ。

 次回は、「フォークソノミー」の第2弾として、「テクノラティ」にスポットを当ててみたい。

「ものになるモノ、ならないモノ」バックナンバー

著者紹介

著者の山崎潤一郎氏は、テクノロジ系にとどまらず、株式、書評、エッセイなど広範囲なフィールドで活躍。独自の着眼点と取材を中心に構成された文章には定評がある。
「家をたてよう@スマッチ」


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