霞ヶ関も導入する!?クラウドコンピューティングの本質を理解する:ものになるモノ、ならないモノ(30)
霞ヶ関も興味を示す「クラウド」。クラウドの本質を理解するためにIBMとblogeyeの取り組みをお伝えする
官庁をクリーンにする「霞が関クラウド」
昨年11月、ある総務省の幹部が筆者に冗談っぽく「霞が関クラウドを作ろうと思っている」と言った。「霞が関クラウド」とは、縦割り行政の壁に分断されて、低効率、高コスト体質に陥っている官公庁や行政のITインフラにクラウドコンピューティングの手法を取り入れることで、高効率化とコスト減を計ろうというものだ。
「役所のシステム」と「クラウドコンピューティング」というと、一見相いれないキーワードが並んでいるように感じるが、社保庁の「宙に浮いた5000万件の年金記録」問題の後始末や、定額給付金の事務処理といった「ピーク対応」「一時対応」にこそ、推進してもらいたい施策だ。
くだんの官僚は冗談交じりに「霞が関クラウド」という言葉を口にしたが、案外、本気モードで準備していたりするのかもしれない。後述する日本IBMの事例から分かるように、クラウドコンピューティングが、血税を無駄に使う政策をなくすのだったら。
バズワードとの戦いに決着を付ける!?
さて、そんな気になるキーワードとしての「クラウドコンピューティング」だが、筆者的には、性懲りもなくまた出たか! というのが第一印象だった。IT系のフィールドで物書きをしていると、いわゆる「バズワード」との格闘の歴史といった側面がある。ユビキタス、オンデマンド、ユーティリティー、グリッド……、語尾に「コンピューティング」という単語が付く言葉だけでも、ざっとこれだけ思い付く。これらの言葉や概念は、筆者のようにメディアの側にいる人間やIT企業の手により、需要創出などの目的で必要以上に喧伝(けんでん)されてきた。だが、言葉にもてあそばれるのは、もういいかげん疲れた(でしょ?)。だから「クラウドコンピューティング」に関しても「同じ穴の“ムジナ”的な言葉だろ」程度の認識でいた。メディアの側にいる筆者が、そんなことを言うと怒られそうだが……。
そのようなわけで、今回こそはバズワードとの戦いに決着を付けてやるぞ! と意気込んで日本IBMに乗り込んだ。なぜ日本IBMなのか。理由は簡単だ。@ITの読者なら企業ITとクラウドコンピューティングとの関係が気になるであろうし、Salesforce、Amazon EC2、Google App Engineの話は食傷気味だろうと思ったからだ。ちょうど、「丸山先生レクチャーシリーズ 」(2008-2009)第2回で登壇した日本IBMの執行役員・ソフトウェア開発研究所長の岩野和生氏の話が興味深かったので、多くの企業顧客を抱えるこのIT業界のガリバーが、クラウドコンピューティングに対しどのような考え方を抱き、いかなる戦略で望むのかを探ってみたいと思った。
IBMといえば、1980年代以降「ダウンサイジング」(これもバズワード?)という潮流に押し流される中で「滅び行く恐竜」(メインフレームの意)とやゆされ、時代に取り残された巨大企業の代名詞のようにいわれた会社だった。しかし、その後の事業転換が功を奏しいまだに滅びていないのはご存じのとおり。そのようなたくましさを持ち合わせた企業だけに、最近も、ユーティリティー、グリッド、オンデマンドなどの新しい技術や概念を提唱し、エッジな分野への取り組みをしきりにアピールしている。
そのIBMが、またぞろ「クラウドコンピューティング」などといい始めたときは、「またかあ〜」といった感覚も正直頭の片隅にあった。だから、今回の取材では、のっけから「バズワード疑惑」に切り込むことから始まった。しかし、日本IBMのクラウド・コンピューティング事業推進部長の三崎文敬氏は、そんな筆者の懐疑的変化球質問を予想していたかのように軽くいなしつつ「クラウドコンピューティングは、これまでとは明らかに違う」と胸を張っていい切るのだった。
理由はこうだ。「以前のキーワードの多くは、先進技術的な部分でエンジニア系の人の興味が先行する形で語られることが多かった」(三崎氏)という。そのため、言葉だけが独り歩きするかのようにバズワード化してしまった背景があるというのだ。しかし、クラウドコンピューティングに関していうと、CIOやIT部門のトップといったマネジメント層の関心が非常に高く、「企業トップから、自社に出向いてクラウドコンピューティングについてレクチャーしてほしいという依頼が多い」(三崎氏)部分が「これまでと明らかに違う」という。つまり、新しモノ好きの技術オタクが中心になってワーワー騒いでいたこれまでと違い、「クラウドコンピューティング」は、企業のITトップが真剣に向き合うべきムーブメントとして認識していることを実感する、というわけだ。その部分に「これはホンモノ」と感じるということであろう。
確かに技術者の中には、クラウドコンピューティングという言葉を指して「新しい技術は何もない」と切り捨てる人もいる。ただ、根っからの文系の筆者としてあえていわせてもらうと、技術オタクによる先進技術論ばかりが先行する事象というのは、人々の右脳に訴え掛ける部分が欠けていることが多い。先進性の強いロジカル思考の上に「これが実現すればこんなに便利で有用だよ」といって構築されたサービスや機能といったものは、どこか人の欲望や直感に訴える力が弱いのだ。
だからといって「エンジニア系の人の興味だけが先行する形で語られることが多かった」これまでキーワードがバズワード化し、技術者に「新しい技術は何もない」と切り捨てられる「クラウドコンピューティング」がホンモノというつもりはない。ただ、クラウドコンピューティングがもたらす(であろう)“御利益”の数々を聞いていると、マネジメント層の右脳を直撃し「検討せねば」と思わせるだけのパワーを持ち合わせていることはおぼろげながら理解できる。
事業部門とIT部門の戦いに決着を付ける社内クラウド
その後、三崎氏は、個別具体的なクラウドコンピューティングの御利益について話し始める。同氏によると、IT幹部がまず、ピピッ! と来るのは業務における「一時対応」や「ピーク対応」といった基幹システム以外の部分への応用だという。次のような実例を教えてくれた。
米国のある大手ファイナンス企業の事業部門が、顧客情報を含んだデータのバッチ処理を早急に実施する必要に迫られた。そこで、Amazon EC2を利用して処理を実行したそうだ。しかし、それを知ったIT部門が大激怒。エンドユーザーの個人情報を含むデータ処理を外部に託すとは何事か、というわけだ。おまけに、Amazon EC2は、その企業が要求するだけの信頼性やセキュリティレベルを保持しているかどうかも検証が済んでいない。しかし、事業部門にも言い分はある。IT部門に依頼しても、ミドルウェアやらサーバの準備と称して対応が遅いだろう、おまけに年間予算の割り当てがどうのこうのといい出すこともある、今回はスピードが求められる業務だけにIT部門になど頼んでいたら機会損失だ、だからAmazonを利用した、というわけだ。
これに類した話は大手企業の中にはゴロゴロと転がっているらしい。考えてみれば、企業のシステムというのは、セキュリティやらコーポレートガバナンスやらが叫ばれるようになってからは、そのフレキシビリティを加速度的に失うようになった。それと反比例するかのように、インターネット経由で提供される各種サービスは、使う側の自己責任でありベストエフォートである分ダイナミックな進化を遂げ、どんどん便利で使いやすいものになっている。くだんの事業部門がIT部門にけんかを売ってまでもAmazon EC2を利用するのは理解できる。
ただ、だからといって、IT部門としてこれを見過ごしていたのでは、コーポレートガバナンスもへったくれもあったものではない。そこで登場したのが、「エンタープライズクラウド、プライベートクラウド、社内クラウドなど呼ばれる考え方」(三崎氏)だ。つまり、信頼性とセキュリティが確保された自社データセンターなどの社内インフラの中に、Amazon EC2並みの便利さを備えたクラウドコンピューティング環境を構築し、社内の、一時あるいはピーク対応業務の受け皿とする、という考え方だ。
「グループクラウド」「業界クラウド」で国内企業も規模の経済を
とはいえ、自分たちでインフラや資産を持たない部分にクラウドコンピューティングのメリットがあるのもまた事実だけに、社内に新たな受け皿を構築するのでは本末転倒のような気もする。それに対し三崎氏は、IBM TAP(Technology Adoption Program)と呼ばれる、IBM社内の先進技術を試験するための仕組みを例に挙げ、社内クラウドのメリットを説く。IBM TAPでは、従来は、世界中で同時に進行する数十の実験プロジェクトが個別にインフラを用意していた部分にクラウドコンピューティングを取り入れることで、「運用・保守の人件費やハードウェアのコストが劇的に下がり、年間約87%のコスト削減に成功した」(三崎氏)と胸を張るのだ。また、コストメリットだけでなく、インフラの先行予約を可能にするなど、スケジューリングの面でもスピーディで円滑なプロジェクト進行を実現している。
このIBMと同じ方法論を当てはめることができれば、一般企業においても急なビジネス・ニーズを低コストでスピーディかつ安全に満たすための社内クラウド環境を構築するメリットはある。それに、最近は、クラウドコンピューティングを取り巻く環境や技術も充実しており、Amazon EC2のようなIaaS(Infrastructure as a Service、アイエーエス)と呼ばれる仮想化されたサーバやストレージだけでなく、GUIベースでIaaS(Amazon EC2)の構築・運用を可能にするRight Scaleのようなミドルウェア的なPaaS(Platform as a Service)も進化している。マイクロソフトもWindows Azureを発表し、クラウドコンピューティングを使ううえでの「技術的なスキル」という部分での敷居はどんどん低くなっていくのだろう。事業部門が一時あるいはピーク対応でIT部門の力を借りることなく、社内クラウドを適宜利用する、というのはなんとなくイメージできる。
ただ、クラウドコンピューティングというのは、「規模の経済」が徹底的に求められる手法でもある。社内クラウドでそれを追い求めるには、それこそIBMのようなグローバル企業でないと難しいような気もするのだが、三崎氏は、そんな疑問にも回答を用意していた。「ITトップの中には、自社クラウドから開始して、グループ企業でクラウドコンピューティング環境構築したいともくろんでいる人もいる」という。それだけでなく「業界グループにまで拡大するという手法も考えられる」(三崎氏)とも付け加える。なるほど、それならグローバル企業でなくても、規模のメリットを追いかけることも可能だ。
いうなれば次のような利用イメージであろう。グループ企業や業界向けにIaaS環境を用意するだけでなく、PaaSやSaaS(Software as a Service)の部分に、グループ企業あるいは業界特有のミドルウェアや独自アプリケーションを構築し関連企業が共通に利用することで、各社は、サーバやストレージインフラという付加価値の低い部分だけを切り離せる。その上で、スピード、独自性、セキュリティといった「おいしいとこ取り」を実現することができる、ということだ。確かに、ここまでいわれれば、IT部門のトップもピピッ!と来るのであろう。
ちなみに、この考え方を冒頭の「霞が関クラウド」に当てはめると、霞ヶ関が構築したクラウド環境を各省庁のみならず、地方の行政も利用して、日本国全体でIT行政の高効率化とコストメリットを追求するようなイメージであろうか。
400万ブログ2億件の記事の処理を短期低コストで実現
プライベートクラウドの御利益は、おぼろげながら理解できた。ただ、具体的にどのくらの効率化とコスト低減が可能なのかを、IBM TAP以外の例で知りたいところだ。しかし、具体的な話になると、「現在は、IT部門のトップが無視できないITのムーブメントとして自社のIT戦略にクラウドコンピューティングをどのように取り入れるのか検討を開始した段階なので、具体的な事例は公開できるレベルにはない」(三崎氏)という。
うーん、困った。そこで、いろいろと調査した結果、BtoC的なサービスではあるが、コストや規模感が分かる実例を見つけたので紹介しよう。日本中のブログから情報を継続的に収集しその中から属性ごとの流行やトレンドを抽出する「blogeye」というサービスだ。このblogeyeは、Amazon EC2を利用して立ち上げられたものだが、業務の一時あるいはピーク対応における、社内クラウドの有用感やコスト感をつかむ一助になれば幸いだ。ちなみに、blogeyeは、今回の日本IBMの件とは一切無関係。
blogeyeの大倉務氏(http://ohkura.com/)によると、このサービスは、日本中の約400万のブログ(記事総数は、おおむね2億件程度)から、著者の属性(性別、年齢層、居住都道府県)を推定し、そのデータを基に属性ごとの流行を抽出するという処理を行っている。立ち上げ当初はもちろん、サービスを一般公開した後も「基本的に、Webサーバ、ブログのクローラ、インデクシング、そのほか、内部で必要な処理をすべてAmazon EC2上で行っていた(現在は別のサーバ上で動作)」という。
「通常の運用は4台の仮想マシンで行い、定期的(月に3日間程度)に実施する著者属性推定処理(ピーク対応に当たる)には、80台の仮想マシンを一時的に投入」(大倉氏)している。運用金額はピーク対応も含め「月平均で10万円程度」だが「これは、自分の研究のための各種アルゴリズムを用いた研究用のプログラム実行のためのマシン台数も含んでいる」(大倉氏)そうで「仮にblogeyeサービスに絞った運用を行えば月額5万円程度で十分可能」(大倉氏)とのこと。
クラウドコンピューティングを利用したサービスを開始した部分での不満点は特になく……、
- 必要な処理量に応じて時間単位でレンタル
- 必要だと思ったらすぐにマシンを利用可能
- 初期費用がゼロ
- 自分でサーバを運用するよりも安定している
などの点で大きなメリットを感じたという。
blogeyeの例がそのまま社内クラウドの参考になるのかどうかは不明だが、なんらかのヒントは感じ取っていただけると思う。ただ、一般企業におけるクラウドコンピューティングは、スタートアップ企業や新規立ち上げの場合と異なり、基幹システムとの関係性の中でどのように構築していくかといった難解な問題も絡んでくる。そのため、期待値ばかりが先行して結局はバズワードと化して終わるといった危険性が払拭(ふっしょく)されないのもまた事実だ。
企業ITにおけるクラウドコンピューティングについては、日本IBMの取り組みも大いに納得するし、企業のIT系トップ連中が大きな興味を示していることも理解できる。ただ、SIerなどクライアントに導入を促す側が、過去の負の遺産を無理やりクラウドコンピューティングビジネスに絡めるような、我田引水的なビジネスを展開した途端、このムーブメントの本質的な部分が置き去りにされる。クラウドコンピューティングの場合、BtoB、BtoBtoC、BtoC、モバイル、固定系、とあらゆるレイヤやフィールドで、新しいビジネスの芽がはぐくまれる予感がするだけに、本質的な部分をしっかりと見極めて正しい方向性を見つめることが大切であろう。それでこそ、クラウドコンピューティングをバズワードに終わらせない最大の方法なのだ。
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著者紹介
山崎潤一郎
音楽制作業に従事する傍ら、IT系のライターもこなす蟹座のO型。自身が主宰する音楽レーベルのサイト「インサイドアウト」もよろしくお願いします。最新刊『ケータイ料金は半額になる!』も好評発売中。著者ブログ 「家を建てよう」
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